こんにちは、ウリエさんです。
主人に小説のレビューを書いてもらいました。
〈題名〉
シッダールタ
〈著者〉
ヘルマン=ヘッセ
<概要>
主人公はシッダールタという僧侶(バラモン)の家に生まれた青年です。
彼は、容姿端麗、聡明で、多くの人々に愛されていました。
しかし、どんな愛情も、知恵も彼の心を満足させることはありませんでした。
そんなシッダールタが出家し、多くの人との出会いと経験を経ながら、自我と向き合い、変化していく過程が描かれます。
ご存知かもしれませんが、シッダールタとは釈迦の出家以前の名前です。
ということは、宗教の話?難しそう?と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
描かれるのは、一人の人間が様々な苦悩と向き合う姿です。
私自身は、この小説を通して彼の苦悩や体験に触れることで、自分の中で消化できない嫌な感情やストレスとの向き合い方が上手になりました。
それから、身の回りの物事の今まで見えてなかった側面を捉えるように意識するようになりました。
読むと、暖かい気持ちになれること間違いなしの一冊です。
<感想>
この本の中では、「本質には、教えや知識、言葉によっては到達できない、自身の体験によってのみ到達できる」ということが語られます。
確かに、この本の素晴らしさを言葉で表現しようとすると途端に陳腐になってしまいます。
ですので、今回は、冗長になってしまいますが、私自身の経験とこの小説の接点などを語っていきたいと思います。
概要でも述べましたが、シッダールタは才能に溢れる青年で、全ての人から愛されましたが、心はいつも空虚でした。
出家して色々な教えを学んでも一向に満足は得られない。
俗世に戻って歓楽の限りを尽くしても心は乾くばかりです。
こんな経験したことないですか?
現代社会はあらゆるものに溢れ、欲すれば大抵のものは手に入ります。
物を獲得するためにお金を欲し、そのために働く。
でも、欲しかったものを手に入れた瞬間の快楽が過ぎれば虚しさだけが残る。
私自身はそのような思考サイクルにはまりがちで、心に安寧をもたらしてくれるものってなんだろうとか悩んだりします。
悩むと言いましたが、この小説を読むことで、悩むことから逃げていた自分に気付くんですね。
わからないものや不安と向き合うのは大変なことです。
だから言い訳して、瞬間的な快楽に落ちていくんですね。
そんな自分が嫌でどんどん負のサイクルにはまっていくと。
この小説を読んで、本当の幸せや安寧とは何かにより深く想いを巡らすようになりました。
かといって、その答えが得られないからといって苦しむことはないんだなとも思えるようになりました。
それから印象的だったのが、シッダールタが子供への執着に囚われていることを自覚した際に、自身が出家する際の親の姿を思い浮かべるシーンです。
私は特に反抗期には、親の言動が全く理解できないということが多々ありました。
それが、自分の子供を持った時に、過去の父母の言動の意味がふっと腑に落ちる瞬間が訪れるようになりました。
これが、小説の中で一貫して語られる、「本質には、教えや知識、言葉によっては到達できない、自身の体験によってのみ到達できる」ということなんだと実感しました。
子供にはあれしちゃだめ、こうした方がいいと色々口出ししたくなってしまいますが、そんなことをするくらいなら、好きにいろいろ経験させること!というのを強く思いました。
あ、私自身は自由にのびのびと育ててもらいました。その点、両親には感謝してもしきれませんし、自身の反抗期を思い浮かべると、両親には本当に頭が上がりません。
両親への感謝も込めて、子供にはのびのび好きなことをやらせてあげたいと思っています、が、これが難しいのです・・・
以上が主人が書いてくれたレビューです。
私はヘッセの<車輪の下>を読んだことがあります。
これがなかなかバッドエンドで…。
翻訳しているのが、東大卒の高橋さんという男性なのですが、
この人、言葉のセンスすごいです。
心に突き刺さる言葉。鮮やかに浮かび上がる情景。
とにかく高橋さんが訳したヘッセを読んでほしい。
ヘッセ自身、牧師さんなので、仏教にも興味があったのかな。
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