母親になってすべてを諦めていました。
わたしのこれまでのを振り返ってみます。
【プロフィール】
北海道出身です。1993年生まれ。兄、私、弟の三人兄弟の真ん中の長女として育ちました。
お花を見たり、スケッチするのが好きな子供でした。また、祖母の影響か手芸も得意でした。
高校へ入学し、勉強と部活(硬式テニス)に明け暮れていました。
テニスは大好きでしたが、生まれつきアトピーで肌が弱かったので、真夏の日差しやら汗やらで皮膚トラブルに悩まされていました。
「肌に優しい日焼け止めを開発するべさ」と理系クラスに進みます。
そのまま地元の大学の工学部に進学しました。
美しいキャンパス、生まれて初めて味わうお酒の美味しさ、親元を離れた解放感、好きなだけテニスができる嬉しさ…。大学生活はとても楽しかった。
特に最高だったのは服です。
大学がある札幌は可愛い洋服のお店がたくさんあった。なかでも古着屋さんで売っている服は最高で、バイト代のほとんどをつぎ込むくらいでした。
私の専門は無機化学です。水や土壌を研究していました。
私は研究・勉強をさぼりまくっていたので、多くの先輩や教授が私の研究指導のさじを投げていました。(笑)そんななか同じ研究室にいたひとつ上の学年の先輩が私を最後まで諦めずに指導してくれました。おかげでなんとか論文も形になりました。
この先輩は、学問やスキルだけでなく「学ぶことの楽しさ」を教えてくれた。それが今の主人です。だから私は主人をとても尊敬し、感謝しております。
大学卒業後、日焼け止めメーカーにはいきませんでしたが、「土を使って環境保全がしたい」と千葉県の化学系メーカーに就職しました。
わたしは社会人になるまで自分の思い通りに生きて、世間を全く知らなかった。
初めは研究・開発部門に配属されました。
こんな風に言うと楽しそうに聞こえますが、大学の専門知識を活かせず、あまりやりがいを感じられないのが実情でした。
テーマは自分では決められなかったうえに、ラボベースの研究しかやらせてもらえなかった。だから自分の研究は操業や現場に全然役立たない、というか研究結果を現場に採用すらしてもらえない。
現場の方たちに「また机上の空論言ってら」と白い目で見られ、疎まれるのが常でした。
次に現場の操業管理部門に配属されました。現場はとても忙しく大変でしたが、楽しい面もありました。
ただ、自分がやっている仕事に対して以下のような疑問を抱いていました。
・この業務は環境破壊ではないか?人の役に立っているのか?
・この業務のために、たくさんのひとが毎日クタクタになるまで働いている。
・この業務のために、自分もまた必死に毎日クタクタになるまで働いている。
人や環境を守るのが技術だと信じてきた。でも、そうではなかった。技術者としての誇りや意義がわからなくなってしまった。
ただ、若手育成の研修の一環で、私の専門知識を存分に発揮し、長年わからなかった不具合の原因を突き止めたことがありました。
操業トラブルも改善し、お客様から「ありがとう」を言われました。これが、唯一技術者としてやりがいを感じられる仕事でした。
ところで、会社では作業着の着用が義務付けられていたため、私服は通勤時と休日のみ着ていました。
大好きなお洋服たちの出番は少なくなってしまい、それもまた残念に感じていました。
当時、いまの主人と千葉ー和歌山間で遠距離恋愛をしていました。
途中何回か別れを思ったこともありました。
が、喫茶店でニーチェの本を取り出し、
「生まれながらにして、家庭環境・経済とかの格差はある。苦しんでいる人がいる。僕はどういう人の助けになりたいんだよ。」
と言っているのを聞いて結婚を決意しました。
ああ、なんて優しいんだろう。
そして私に対して、こんなセリフを言う人はこの世にこの人以外いないなって思った。
責任感が強くて、無理にしがちなこの青年をなんとかしてやりたいとも思った。
それから、主人がいる和歌山で働き口をみつけるべく、転職&引っ越し&退職。
しかし、転職して半年で妊娠。
もちろん仕事なんか全然覚えてないし、使えない。
上司からやんわり「退職してね」と告げられ、辞職。
上司には迷惑かけてしまったな。てか転職活動むだになったな。
でも、主人とは「こどもが欲しいね~」とずっと話してきたのでうれしい気持ちのほうが強かったです。
「子供が1歳くらいになったら保育園預けてまた働こう!」と気楽に考えていました。
が、実際はうまくいかず…
生まれてきた子供はとにかく可愛かった。一方で誰も頼れない状況での子育ては心細かったです。
そんなとき心の支えになってくれたのが、近所の爺さん婆さんたち。親身になって話を聞いてくれたり、こどもをあやしてくれたり。
自分らの子育てを思い出すのだろうか。この人たちも親だったんだなあ。ひとりの人間を育てるなかで、苦労したり、葛藤したり、嬉しかったり、しただろうなあ。
そんなことを考えるうちに、和歌山市のひとたちに何かしら恩返しが、
できれば私の専門分野である科学を使って恩返しがしたいという気持ちが強くなりました。
子供が1歳半になって、保活や就活を始めましたが、
保育園「働いてる人や育休中のひとが優先。専業主婦はポイントが低い」
企業「預け先が決まってないのに雇えるわけない」
で、八方ふさがり。
たまたま、こどもが寝ている深夜帯でのパートの求人がでていたので、そこで働きました。
働けば保育のポイントも加算されるので、近くの保育園に預けられる!そうすればまた技術職として働けるぞ~と思ったんです。
しかし、保育園は半年以上決まらないままでした。
さらに、ようやく内定した保育園は家から往復で1時間&延長保育なし。
相変わらず時間に余裕はない状況。主人の協力のもと、正社員で雇ってもらえるところを必死で探します。
しかし、私の努力とは裏腹に実際にこんなことを採用担当者から面接で言われました。
「こどもいるんでしょ?」「うちの仕事、そんな楽じゃないよ。」「旦那さんも和歌山のひとじゃないんでしょ?子供が熱を出したら誰がみるの?」「ご主人は転勤ありでしょ?」
どんなに技術者としての経験や想い、企業に貢献できることをアピールしても聞いてもらえなかった。
実際にこどもが保育園で病気を頻繁にもらってきて、「これしばらく働けないわ」と思いました。ひとり自宅でこどもの看病していると、社会から拒まれた気がして悲しかったです。
結局、昼間の仕事は決まらず、子供が寝た深夜に仕事に行く日々は続き、そうこうしているうちに第二子を妊娠&出産。
条件を満たしていなかったので育休手当てがもらえず、一方、上の子の保育園代はかかってくるため、産後半年で復帰しました。
幸い、私は体が丈夫でしたので、仕事は問題なくできたのですが…。
下の子が、母親が自分のそばからいなくなったのを察知し泣くようになったのです。
私が帰宅するまで泣き叫ぶ我が子。当然面倒を見る主人は眠れません。上の子もうるさくて起きてしまうようでした。
帰宅した私と入れ違うように出勤する主人。寝不足の状態で仕事はだれでも辛い。
そんな無理のある生活をしていたある日、ふと主人を見たらすごく痩せていることに気が付いたんです。
主人の骨ばって大きな背中。
本当に申し訳なくって涙がでました。
もちろん生活にお金はかかります。私も働かなくてはいけません。
でもその結果、大切な主人と子供を犠牲にしている…。
この危機的状況を打開する方法はないのか。
それとも仕方がないと受け入れるべきなのか。
「社会人だから。」「新卒で入社した会社を辞めたから。」「無計画に妊娠するから。」「お母さんだから。」
全て仕方がないのか。
幸い、こどもはとても可愛い。主人のことも大切に思っている。
これも幸せと割り切るべきなのか。思考停止すれば楽なのか。
だけど…。
・どうやったら主人と子供を幸せにしてやれるか。
・技術者の存在意義は何か。
・毎日必死なのに、なぜこんなに苦しいままなのか。
こんなことをずっと考えていました。
ある日、私に転機が訪れました。
以下、その日の日記です。
近所とはいえ、日用品がなくなるたび赤ん坊を背負ってドラックストアに買いに行くのは一苦労。全く利用しないとまではいかなくとも、月に1回程度の買い出しで済ませられないかなと考え、日用品を手作りすることにしました。
まず、ナチュラル志向の雑誌を参考に食器洗剤を作りました。
ソーダ石鹸を溶かした熱湯に重曹を入れたらすごい勢いで吹きこぼれました。
私の専門(無機化学、水と鉱物の相互作用)だったんですがね…。かなり落ち込みました。
そうこうしているうちにどんどん溢れる洗剤を急いでボトルにいれました。
で、入り切らなかったのであまりをグリルにかけたら一瞬で油汚れが落ちたんです!
なんかすごいの発明した!?と思いましたが、普通に高温だったからだろうな。
とはいえグリルに熱湯をかける奥様はまずいないので、発明といえば発明。
ちなみに洗剤はあまり泡立ちませんが、油は落ちます。
お出かけ先で自然に感動しながら、お家に帰ったら化学薬品を使う、といういままで感じていた矛盾を解決できたという点でもとっても嬉しいです。
…とこんな感じでなんてことない洗剤つくりがとても楽しかったんです。
楽しいだけじゃなく、コスパがとても良く、買い物の手間が省け、環境に優しい。
浮いた時間でその日の夕飯はちょっとしたご馳走を作りました。
美味しいご飯とご機嫌な私の態度に、主人と子供が喜んでくれました。
ある日、
「あ~この前の洗剤つくり、楽しかったな~」
「だけど、重曹を沸騰した石鹸水にいれるなんて、科学者失格やな(笑)」
と考えていたところ、ある発想がひらめいたのです。
”重曹を沸騰した石鹸水にいれる”ことがNGだと、どのくらいの人が知っているのか。
まず理系と文系の2種類に分かれる。理系はさらに医療系と理工系の2つに分かれる。理工学は生物、化学、物理、機械、電気制御、情報の5つ。
1/2 × 1/2 × 1/5 =1/20
20人に1人、つまり5%の人だけが「NaHCO3(重曹)を加熱するとCO2(二酸化炭素)が気体となって遊離する。石鹸水の表面張力は弱く、発生した気泡が保持されるので噴きこぼれる」を知っていることになる…。
おお?
自分は結構めずらしいスキルの持ち主かもしれない。
ところで洗剤を手作りし、洗剤と重曹が溶けた熱湯をグリルにぶちまけようとする奥様は全体の何%なのか。
毎日子育てと家事に忙しいママたちにこれを広めたら、
・お金と時間の余裕が生まれ、ご家族を幸せにすることができるのではないか。
・余計な添加物がない洗剤なので環境負荷を減らすことができるのではないか。
おお!!これだ!これがわたしの技術者としての使命だ!
そんな気がしたんです。
それと同時に、「毎日必死なのに、なぜこんなに苦しいままなのか。」という問いに対する答えも探そうと思いました。
そもそも、洗剤はいままでドラックストアで購入していました。それが当たり前だったから。
洗剤だけでない。野菜、日用品、衣服、家具、電気、調味料etc…
いろんなものをお金で購入していた。そのお金を得るために働く。
だけど…
・働くと毎日クタクタになるうえに家族を犠牲にしてしまう。
・働かないと生活に必要なあれこれが入手できなくて苦しい。
この悪循環から抜けるために何をすべきか?
う~~~ん…。ハッ!!スワッ!!!
買わない、捨てない、自分で作ることでこの問題を解決することができるじゃないか!
浮いたお金と時間で自分の好きなことに没頭できるじゃないか!幸せじゃないか!
これを広めることで幸せな人を増やせるじゃないか!
おお~~~~!
こうして「買わない、捨てない、自分で作る!ウリエさんの楽しい創作日記」は誕生したのです。
そして「買わない、捨てない、自分で作る!ウリエさんの楽しい創作日記」は「化学な主婦の新SDGs研究ノオト~買わない、捨てない、自分で作る!~」に名前を変えて現在に至っております。
ウリエさんは住宅地にある小さなマンションで暮らす主婦です。
「買わない、捨てない、自分で作る!ウリエさんの楽しい創作日記」を開設した当時、子育てに疲れた体に鞭を打ち、家事を頑張り、必要なものはお金で買っていました。
一般的な家庭で過ごし、一般的な教育を経て、一般的な…。いや、非常にドラマティックな結婚をしました。(主人に失礼だから、ここだけはね。(笑))
本当にどこにでもいる主婦です。
だから、「化学な主婦の新SDGs研究ノオト~買わない、捨てない、自分で作る!~」の創作活動は、だれでも実践できるような簡単な内容になってます。
化学が専門といいましたが、
沸騰した石鹸水に重曹をいれて大惨事にあったほどのポンコツ科学者なので、みなさん気負わずに♪
ちなみに洗剤の作り方もわからなかったので、ネットで調べました。(笑)♪
本ブログの目的は、以下の通りです。
・忙しい毎日を送っているみなさまに時間と余裕もってもらう。
・みなさまの日常を楽しくさせる。
・環境負荷を低減し、自然を大切にする。
偉そうなこと言ってますが、失敗する可能性も十分にあります。
そのときは笑い話にでも、酒の肴にでもしてくださいね。
ちなみに…わたしたち科学者は失敗が大好きな変なひとたちです。♪
ぜひご覧くださいませませ(^^)♡